「AIで書くか書かないか論争」から、コンテンツに携わる人が考えるべきこと
すこしまえにXで、ライターの石川ゆきさんの記事投稿が話題になっていました。
「わたしが執筆にAIを使わないのは、つまんねーからである」というタイトルのこの投稿には、こんなことが書かれていました。
AIを使っているときのプロセスがつまらない。書くのが好きな人にとって、AIはノイズである。言葉を選んで言い回しを変えて、しっくりくる表現に落とし込んでいくとき、タイトルや見出しがバチッと決まったとき、そういう時間が好きだから、AIに「執筆作業ならやってあげますよ」と言われても、全然大丈夫です、となる、と。
「そうだよなあ」と思いました。
というか、エッセイストや、書くことそのものを生業にする人がAIを使わないのは、合理的に理解できます。
石川さんの場合はタイトルにあるようにシンプルに、「AIで書くのがつまらないから」というモチベーションの問題が大きそうに思うのですが、エッセイみたいな文章の場合、読者が求めているのは情報そのものよりも、書き手の個性そのもの。だから、書き手の持ち味を最大限生かすという意味でも、AI活用が悪手になることは説明がつきそうです。
とすれば、エッセイストはAIを使わず、ノウハウ解説やニュース整理のように情報の有用性そのものが価値の場合はAIを積極的に使ってもいいじゃないか。
そういう住み分けの話だと整理することもできそうです・・・が、この議論てもう少し掘り下げできる気もしています。こういうすみわけが成り立つのは、ある段階までの話だと思うからです。
■優れた情報発信者は、歴が長くなると「人格を求められる」
「ある段階まで」と表した通り、それが優れたノウハウ・ニュース解説のように、情報の有用性そのものが価値になる発信であっても、歴が長くなってくると、事情が変わってくるように思います。
本人としては客観的に情報を提供しているつもりでも、読者の側にはだんだんファンがついて、その人の視点や文体を求めるようになってくる。発信者としては「役に立つ情報であること」が価値の本質に思っていても、読者から見るといつの間にか「その人の書いた情報であること」が価値になっている、ということです。
マーケティングの専門家である佐藤尚之さん(さとなおさん)の著書『AIに選ばれ、ファンに愛される。』には、こんな話があります。
かつてのマーケティングは、情報を多く持つ売り手が、情報を持っていない買い手に一方的に届けることで成り立っていた。ところがAIの登場で、この「情報の非対称性」が一気に崩壊した、と。
その前提に立ったうえで、さとなおさんは生き残りの道を二つ提示しています。AIに選ばれるための「AIルート」と、人に愛されるための「ファンルート」です。情報で差をつけることが難しくなった今、後者の重要性が増している、というのが同著の核心にある考え方だったように思います。
情報を求めて集まった人が、だんだん人についてくる。
内容で読まれていたはずが、いつの間にか人格で読まれるようになる。
発信している本人は「自分はただ情報を整理しているだけ」と思っていても、読者の側では、その人の切り取り方や言葉の選び方に愛着が生まれている状態で、発信者冥利に尽きる話でもありますよね。
石川さんが書いたような「プロセスへの愛着」が書き手の側にあるように、読者の側にも「この人の書き方への愛着」が生まれていくという感じでしょうか。
■自分の発信価値を、発信者自身が完全にコントロールするのは難しい
確かに「情報だけ」を届けている段階なら、AIを使っても読者の違和感は出にくいとは思います。でも、ファンがつき始めた段階で同じことをすると、本人が思っている以上に読者は敏感に違いを感じ取るものです。
そのうえで難しいのが、自分の発信の価値が「情報」から「人」に移っていることに、本人だけが気づいていないことがある点です。
この「ずれ」に気づきにくい理由の一つに、PVやUUといった数字が「誰が、なぜ読んでいるか」を映さないことがあると思っています。
読者の中には、情報を求めて新しくやってきた人もいれば、書き手の視点や文体を好んで読み続けている古参の読者もいる。どちらも一つの「読者」として数字に現れるので、その内側でどんな新陳代謝が起きているのかは見えにくくなってしまいます。新規読者が増えて数字が伸びていても、古参読者がひっそり離れ始めていることがあって、逆もしかり。数字だけでは、その変化を感知するのがとても難しいのです。
自分が何を届けているつもりで、読者が何を受け取っているのか。そのずれを把握しないままAIの使い方を決めると、どこかで読者の違和感に気づく羽目になるかもしれない。石川さんが言う「つまんない」という言葉は、書き手の話だけれど、案外読者の側にも似た感覚が生まれるときがある気がします。
■では、どうしたらいいのか
読者が求めているのは、情報そのものなのか、そのコンテンツに宿る人格なのか。
それを自覚して、AIの使いどころを見極めるのがだいじですね・・・と、論理的にいかにもそれっぽく片付けることもできますが、現実問題これって、めちゃくちゃ難しいですよね。
読者が何に価値を感じるかをコントロールするのってそもそも無理な気がしますし、ひとそれぞれですし。読者との関係は計算して作るものではないようにも思います。
結局のところ、「打開策を考える」というより、「発信者としての在り方を考える」のが遠回りのようで最善かもな、というのが今のところの僕の考えです。
読者に対して誠実な自分でいること。自分らしさを見失わないこと。それは自覚してどうにかなるというより、読者との対話に地道に時間を割き続けることでしか積み上がらないよなあと。
AIを使って浮いた時間を、今度は泥臭く人と話すことに使う。コメントに返事をする、寄せられた感想に向き合う、実際に会って話す。非効率に見えるこういう時間こそが、「この人が書いた」という価値を守っていくことになるのかもしれないなと。
ちょっと皮肉な話だけれど、AIで効率化した先に待っているのが「もっと人間らしくいる」という課題なのだとしたら、「まあそういうものか」という気もしています。

ランチ相手を募集しています。
今回の話につながるのですが、ここで懺悔すると、僕自身もかなり発信にAIを活用しています。
ただ同時に長くニュースレターやXを読んでくださっている方が多くいて、「内容が価値なんだからAIを使っても毀損はないだろう」と思っていても、「最近ちょっと違うな」と感じて遠のく方もいるだろうなとは思っています。
そういう状態に自覚的であるためにも、つながっている方と実際に話す機会を増やしていきたく、定期的にランチ会を開いてみることにしました。
オンラインでもリアルでも、雑談だけで構いませんし、逆に何か話したいことがあればそれでもかまいません。ご一緒してくださる方がいたら、このXに「いいね!」か、このニュースレターへの返信でご連絡ください。全員は難しいかもしれませんが、できる限り。
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