ユニクロで満足できる時代、「情報を付加価値に売る」仕事の意味
少し前、こんな話を聞きました。
10万円を超えるグルメや高級品にお金を払う人は、物そのものではなく「情報」を消費しているのだ、と。だから庶民と生活の質はそう変わらない、というわけです。
「たしかに!」と腑に落ちました。ブランドの物語に乗らなくても、毎日のごはんはおいしいし、ユニクロだって十分あたたかい。稼ぎが多くなくても、幸せに生きていけるじゃないか、と。
その直後、「あれ?」と違和感が走りました。
やばい。だめじゃん。
■ 自分の足場を削っていた
僕はライターで、いちおう編集者です。日々やっていることは、まさに「情報に価値を乗せる」仕事です。
取材現場では、目の前の出来事をただ並べるのではなく、その裏にある背景や葛藤を掘り起こそうとします。表面だけでは見えないものを描いて、立体感のある存在として届けようとする。
しかも正直に言えば、そこには常に欲があります。「認めてもらえればいい」では終わらない。読者に何かを感じてほしい。考えを変えてほしい。動いてほしい。買ってほしい、という場合もある。
「高級品は情報を消費しているだけ」と言い切ってしまうと、自分の足場まで削ってしまう感覚があって、そこで気づいたわけです。
■ 虚飾の情報と、人間の情報
もちろん、世の中には虚飾としての情報もあると思います。ブランドの権威づけや、過剰な演出。それらが価格を押し上げている側面は否定できないようにも感じます。
でも一方で、人間の営みそのものを的確に表現した情報もあります。見えない努力とか、こだわりとか、希少性とか。それを知ることで世界の見え方が少し変わって、選択が変わって、人生がわずかに方向を変える。そういう瞬間があるといいなと思って仕事をしています。
そう考えると、僕たちが本当に売っているのは「情報」ではないのかもしれません。事実の羅列ではなくて、物と物の間にある信頼関係をつくっている、という感覚に近いのかもしれません。
■ 矛盾を抱えたままでいい、かもしれない
高級品を「情報だ」と冷めた目で見たくなる気持ちは分かります。でも同時に、情報の力を信じて仕事をしている自分もいます。
この矛盾を解消しなくていいかもしれない、と最近は思っています。むしろ「これは本当に情報の価値なのか?」と疑い続けること自体が、編集者としての必須スキルなのかもな、とも。
コンテンツの供給量が何倍にも膨れ上がる時代に、やるべきことは情報を増やすことではなく、情報の意味を研ぎ澄ますことなんだろうな、と。
自分が虚飾を作っていないかを疑える人間でいられたら、少しはましな仕事ができるんじゃないかと思っています。今のところは。
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