『AIで書かれた文章』への許容度をまじめに考える

日々、全国の編集者が頭を悩んでいそうなことに、悩んでいます。
まむし 2026.10.19
誰でも

こんにちは、まむしです。

全国の編集部で「どこまでAIに書かせてよいか」が話題になっていそうなのに、十分に議論されていない気がしています。

「最終チェックは人間がすべき」。それはそうなのですが、それだけでは足りないところまで来ているのが今の編集の現場のように感じています。

「AIが書きましたが最終確認は人間が行っています」と言われたとして、その原稿がイマイチだと思うことがあったり、なかったり、あったり。

そういう、「執筆者本人は人間が直したと言っているが、読み手からするとAIっぽい原稿」を本人に代わって直していると、人と仕事をしているというより、その人を介してAIを操作しているような感覚にも。

この辺の「AIっぽさ」への感度がライターと編集者の間で食い違い、その齟齬が平行線をたどってしまうと、わりと決定的な方針のずれにつながるように思うのです。

もちろん、「AIっぽい」はあくまで受け手の主観であって、AIを使った証拠ではありません。ただ、その主観が編集の現場で判断に影響しているのは確かで、そこを避けて通れないなと感じています。

人間が確認したことは分かった。でも、その人はこの文章をどう読んで、何をよしとしたんだろう。。

確認をしたという説明だけでは、原稿を受け取る側の疑問は解消されない。そのことを、もう少し考えたいのです。

けんすうさんが出演するテレ東AIアカデミーの対談では、AIの出力をそのまま人に渡す姿勢を問題視する話が出ていました。

僕もこれを見て、AIを使うことと、出てきた文章について考えることを省くのは、別の話なのだろうなと受け取りました。

■ Mediumは、何を認めて何を勧めないのか

めちゃくちゃ話は飛ぶのですが、先日、英語でもnoteのように発信できないかと思って、米国のブログサービス「Medium」をのぞいてみました。

MediumはAIコンテンツの方針で、AIの使い方と人の関与に応じて、推薦や収益化の扱いを分けています。以下は僕なりの整理です。

この区分は、AI利用の割合だけで線を引いているのではなく、人がどの程度関与しているかを合わせて見ています。また、AI利用を開示すれば右列が対象になるわけでもありません。一方、AIが生成した本文や画像を含む場合には開示が必要です。

言語などの別条件もあり、現行では日本語を含む非英語の記事は、フォロワー以外へのおすすめ掲載の対象外です。

ここで大事なのは、記事を置けることと、Mediumが広く推薦することは別だということです。推薦の対象外になっても、直リンクで読めなくなるわけではありません。無料で公開していれば、フォロワーもMediumの有料会員も読めます。読める場所を用意することと、媒体として読むことを勧めることに、線を引いているのです。

右列の記事は、Partner Programの有料記事に設定して収益を得ることができません。読む人が有料会員でも例外ではなく、Mediumの外での販売一般を禁止するという話でもありません。

詳細は以下の公式ページで確認できます(2026年10月18日確認)。

掲載、推薦、収益化を分けて考える。なるほど、と思いました。

■ 媒体が何に価値を置くか

媒体は、文章を置く場所を提供するだけでなく、限られた読者の時間をどの記事に向けるかも決めています。そこに人の経験や理解、判断を求めるのは、その媒体が届けたい価値を示すことでもある。

もちろんMediumが絶対的な正解というわけではないのですが、速報性を求める記事と、書き手の一次体験を読みたい記事では、AIに任せたい範囲も違うはずです。

ただ、「うちの媒体は文章のどこに価値を置いているのか」を話さないまま、AIをどこまで使ってよいかだけ決めようとしても、判断はそろわないと思います。

人間が全部書いたからといって、理解や判断が十分にあるとも限りません。逆に、AIに下書きを手伝わせた文章でも、書き手の考えが伝わるものはある。

本当に大事なのは、手で打った文字の割合だけではないのだろうなぁと。

もちろん、Mediumの運営方針にも課題はあります。

  • 本当にAIで書かれた文章を適切に判別できるのか

  • 完成原稿から人の理解や編集の程度をどこまで見分けられるのか

  • 誤判定で推薦や収益の機会を失う書き手が出ないか

Mediumは複数の技術による検知と人間のレビューを組み合わせて判定していると説明していますが、その精度がどの程度かは、僕が確認した範囲では分かりませんでした。

■ 「人が確認した」の先で、すれ違うもの

冒頭で書いた「本人は直したと言っているけれど、読み手にはAIっぽく見える」という食い違いは、人間同士でも起きています。

人を介してAIを操作しているような感覚は、原稿の足りないところを僕が引き受けて直しているときに生まれます。書き手は確認を終えたつもりでも、受け取る側には、まだ考えてほしいことが残っている。

そのズレを「AIっぽい」の一言で片づけてしまうと、何に納得できていないのかも曖昧なままです。文体の好みなのか、媒体が価値を置く部分に物足りなさがあるのか。そこを言葉にすること自体が、編集者の側にも問われているのだと思います。

繰り返しますが、Mediumの方針が絶対解というわけではありません。

それでも、「AIが書いて、人間が確認しました」で会話を終えずに、その人が何を理解し、何を選んだのかまで話したい。書き手と編集者が求める質のズレは、AIの登場で生まれたものではなく、ずっと前からあったものだと思うのですが、AIがそこを見えやすくしているというか。

人が確認したという事実の向こう側に、その人の判断がどこまで見えるか。そこは、まだ僕の中でも答えが出ていません。ううむ。

皆さんの落としどころもぜひ教えてください!

それでは、また来週!

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