素数みたいな人を、どう書くか
こんにちは、まむしです。
今回は、「共感されにくい人を、どう書くか」について考えます。
先日ふと、世の中には素数みたいな人がいるな、と気づきました。誰とも気持ちを分かり合えない、共通項が見つかりづらい。他人の話を聞いても自分ごとにできない。うまく気持ちを割り切れない。そういう、素数っぽい人たちです。
1と自分自身でしか割り切れない数。どのグループにもきれいには入らなくて、「わかるわかる」の共感で回収されにくい人たち、という感じです。
個人的に、そういう人を見ると、自分を持っていてすごいなぁと感じます。
そしてしばらくその人の考えや境遇を想像してみて、「でも、大変だろうな」と思い直したりもします。
共感されづらい、自分自身も誰かに共感しづらい。そういう状態は、孤独感も感じやすいでしょうし、袋小路にも陥りやすいと思うからです。
■ 編集はたいてい「割り算」だから
だれかの話を読者に届けるとき、僕らは無意識に割り算をしています。
「この人の話は、要するにワンオペ育児あるあるだよね」「ビジネスマンにはよくある悩みだよね」とか、なんらかの最大公約数を見つけてひとかたまりにしたターゲットが、共感しやすい形に均す。
割り切れると、多くの人がうなずいてくれます。「わかる、わかる」みたいに。
そして「これは自分のことだ」と感じ取ってくれた人が集まってくれ、すこしずつ共感の輪が広がっていくことになります。
でも、素数みたいな人は、その割り算に、最後まで余りが出ます。
割り切れないから、共感されにくい。共感されにくいから、つい無難なフレームワークに落とし込んで、「こういう話ですよね」という枠内にしまいこみたくなる。
本当はそんな風にきれいに割り切って、整理整頓されるようなものでもなくて、本人の中では「あまり5」とか「あまり3」とか思っている気持ちがあるのに、そこはなんとなく流されて、本人だけで飲み込むしかなくなってしまう。
そこが面白いかもしれないのに。
そこに編集の手が加われば、実は割り切れるかもしれない、のに。
いやむしろ、みんなが抱えていたけれどしまい込んでいた「割り切れない気持ち」に、「本当は割り切れるですよ」「あなただけじゃなかったんですよ」という気づきを与える。
それが編集の仕事なのかもなぁと、自戒したりもしております。
■ それでも、つい型に落としたくなる
こんな風に内省しながらも僕自身はと言うと、割り切れないものを強引に割り切ろうとする仕事をしてしまっていることを、否定できないのです。
どこにも分類しづらい経験や知見を持つ書き手の原稿を、「要は“未経験からの転身”の話ですね」とか、わかりやすい型に落として見出しをつけたくなってしまう。その方が読まれるし、共感を集めるだろうから。
でも同時に、そのコンテンツに登場し、勇気をもって発信してくれた当事者から、「間違ってはいないんですけど……」という、含みのありそうなリアクションをとられたこともあります。
というか、この原稿を書きながら、「自分が思い出していないだけで、本当はもっとあったはずだ」と思い直しています。
■ 割り切らずに、一人の約数を探す
じゃあ、素数みたいな人を、どう書くのか。
思えば、いま試している工夫が、2つあります。
ひとつは、「割り切れなさ」を、正面に置くこと。
たとえにくさ(割り切れにくさ)を欠点として消すのではなく、「どこにも似ていない」を入り口にする。「◯◯な人」と名づけられないことを、そのまま見出しの引っかかりにしてしまいます。
もうひとつは、最大公約数ではなく、たった一人の約数を探すこと。
みんなに割り切ってもらうのは諦めて、「この人になら通じる」という一人を思い浮かべて書く。
いまさらながら素数も、1と自分でしか割り切れないだけで、割り切れないわけではありません。たった一人、それで割り切れる相手がいれば、その人は素数のまま立っていられます。
共感(みんなで割り切る)ではなく、理解(割り切れないまま受け取る)を狙う。最近は、その違いを意識するようになりました。まだまだこれからですが。
ふわふわした話を書いてしまいました。それこそ誰かに伝わるといいけれど、この気持ちもまた、素数なのかもしれません。
すごく抽象的な問いですが、皆さんのまわりの「素数みたいな人」、あるいは「素数みたいなコンテンツ」って、思い浮かびますか。
うまく説明できなくて大丈夫です。むしろ、説明できないその感じを、一言もらえたら跳ねて喜びます…!
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編集後記(今週の本づくり)
毎週スミマセン、こんな風に考えたのはやっぱり、母の本をつくることを考えているからです。
介護やケアの話は結局、「病の当事者と、家族の話」になりがち。でも、当事者が生きてきた人生も、家族関係も多様すぎて、「素数だな」と思うのです。だから、「こうすればうまくいきますよ」なんていうノウハウに落とし込みづらいのです。
みんながみんな、自分のケースを素数だと思っていて、他人のケースを知ったとてそこから学ぶことが少ない。そしてそれは一部、実際にそうなのだとも思っています。
でも、みんなが「割り切れない」と思っていた気持ちが、実はほかのだれかの話を聞くことで、ちょっと割り切れたら。
「あまり5」だったものが、「あまり1」とか「あまり2」とかになって、多少そしゃくできるくらいのサイズになってくれたら。
そんなことを思いつつ、今日もぼんやりとすごしております。

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母と本の構成を詰めていて、いちばん引っかかったのがこの話だった。<br />
母は長年、介護する家族の相談を受けてきた側の人で、その実感として「こんなにいるのか、というくらい多い」と言う。
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